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千葉地方裁判所 昭和57年(ヨ)286号 決定

債権者 中嶋明

債務者 なかやタクシー有限会社

主文

一  債務者は、債権者に対し、昭和五七年一一月から昭和五八年六月まで毎月末日限り各金二三万円を支払え。

二  債権者のその余の申請を却下する。

三  申請費用は債務者の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  債権者

1  債権者が、債務者のタクシー運転手の地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、昭和五七年六月から本案判決の確定に至るまで毎月末日限り金二五万一八八〇円を仮に支払え。

3  主文第三項と同旨

二  債務者

1  本件申請を却下する。

2  申請費用は債権者の負担とする。

第二当裁判所の判断

一  雇用契約の成立等について

1  債務者が、旅客自動車運送事業を目的とする会社であることは当事者間に争いがない。

2(一)  疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(1) 債権者は、昭和五三年四月に第二種免許を取得して以来、タクシーの運転手等の職に就いてきたが、昭和五五年ころから時々アルバイトの運転手として債務者でタクシーに乗務したことがあつた。

(2) 債務者では、従業員を採用する場合には、先ず就業規則所定の書類選考、面接試験を行なつたうえで、これらに合格した者を試用し、原則として二か月間の試用期間中の勤務成績等を検討したうえで本採用の可否を決定するが、債務者の都合又は被試用者の勤務成績等によつては試用期間を延長することがある。

(3) 債権者は、昭和五七年二月二一日債務者に試用され、その後二か月間が経過したが、試用期間の延長はされなかつた。

(二)  以上によれば、債権者は、昭和五七年四月二一日には、試用期間を経過して、本採用されたものということができる。

二  懲戒解雇の意思表示と債務者主張のその理由について

債務者が昭和五七年六月七日付でその翌日ごろ到達の内容証明郵便で債権者を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、債務者が懲戒解雇の理由として次の1ないし4の事実を主張し、右事実は後記認定の債務者の就業規則六八条八号及び九号に該当すると主張する。

1  債権者は、タクシーに乗務中に無線を使つての私語が多く、特に、これまで十数回に亘つて、「今日はゴミ(基本料金の乗客のこと)ばつかりで乞食野郎が多いや」などと乗客や他の従業員に対し不快感を与えるような言葉を発した。

2  債権者は、昭和五七年五月女性の乗客に対し、コーヒーを飲みに誘つたことがあつたが、このようなことは他にも四、五件あり、そのうち三人の乗客からは債務者に苦情の電話が寄せられた。

3  債権者は、他の従業員に対し、「俺はだてにスミ(刺青のこと)を入れているのではないぞ」とか「こんど車から降りて行つてぶん殴るぞ」などといつた暴言を吐き、このため他の従業員から恐れられ、職場の雰囲気も著しく悪くしている。

4  債権者と債務者代表者との間で、昭和五七年六月一日債権者とアルバイトの運転手とのいずれがタクシーに乗務するか問題になつたとき、債権者は、代表者の命令にも素直に応じようとはせず、逆に同人に対し「この馬鹿野郎」などと暴言を吐いた。

三  債務者主張の右事実の存否について

1  そこで、債務者が懲戒解雇の理由として主張する右各事実の存否について検討するに、疎明資料によれば次の事実が一応認められる。

(一) 債権者は、昭和五七年四月始めころ、タクシーに乗務して客待ちをしている間に、当日は基本料金の乗客が続いたため、同僚の運転手である窪田喜一に対し「今日はゴミばかりでいやになつちやうなあ」と話しかけた。

ところで、債務者のタクシーで使用されている無線は、債務者所有のタクシー一一台全部に通じるものであり、債権者の右発言もこれら全車両において受信されうるものであつた。そして、現に、債務者の他の従業員の中には、右のような発言を聞いて不愉快な気持ちになつたものもあつたし、また、右発言が他のタクシーの乗客に聞こえている可能性はあつた。ただ、タクシー運転手の間ではしばしば基本料金の客のことを「ゴミ」と呼ぶことがあつた。

そこで、債務者の従業員である仲田茂及び斉正和夫が、債権者に対し右発言をたしなめたが、債権者は素直にこれを聞き入れようとはしなかつた。

(二) 債権者は、昭和五七年五月ころから腰痛を感じるようになつたが、同月二八日痛みが激しくなつたので、債務者に対し同月三〇日から一週間休みたいと連絡したうえ、同月三〇日及び三一日は勤務を休み、針治療を受けたところ痛みも軽快したので、同月三一日に債務者に対し明日から出勤する旨の連絡をした。

ところが、債権者が、六月一日に出勤すると、債権者の代わりに予め債務者の依頼しておいたアルバイトの運転手が来ており、債務者代表者から「アルバイトを頼んだから帰れ」等と語気強く言われたことから、債権者と債務者代表者との間で口論となり、ついには債務者代表者から「お前なんかもう来なくてよい。」と債権者を解雇する趣旨の発言がなされ、これに対し、債権者も「この馬鹿野郎」などと言い返して退社した。

その後、債権者は債務者に架電したが、代表者が不在であつたためその妻に前記暴言について謝罪し、代表者にも謝罪の意を伝えるよう依頼し、さらに同月三日債権者は債務者事務所に赴き、代表者に対し重ねて謝罪したが、同人から宥恕を得られず、前判示のように同月七日付の解雇通告書が送付されてきた。

2  以上の限度で債務者主張の事実が認定しうるものの、それ以外の事実については次のとおり認定しえない。

(一) まず、債務者は、債権者が乗務中に乗客のことを「ゴミ」と言つたのは、右三1(一)に認定したものを含め十数回にも及ぶと主張するが、これを認めるに足りる疎明資料はない。

(二) 次に、前記二2の事由については、疎乙第三号証及び債務者代表者の供述中にはこれに副うかの如き部分もないわけではないが、債権者の供述と比照してみると右疎明のみでは右事由を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。

(三) さらに、前記二3の事由については、疎明資料によれば、債権者が行なつたという発言について、その日時、場所、発言がなされるに至つた状況等は、いずれも全く不明であつて具体性に欠けるなど、これを疎明あつたということはできない。

四  疎明資料によれば、債務者の就業規則五七条には、従業員の違反行為に対し、譴責、減給、昇給停止、乗務停止、出勤停止、減俸、格下げ、懲戒休職及び懲戒解雇の各懲戒処分が定められており、同六八条には、懲戒解雇事由として、「風紀紊乱等によつて職務規律をみだし他の従業員に悪影響を及ぼしたとき(八号)」、「他人に対して危害を加え又は故意にその業務を妨げたとき(九号)」と規定されていることが認められる。

五  本件懲戒解雇の効力について

そこで、以上の事実に基づいて本件懲戒解雇の効力について検討する。

1(一)  まず、債権者の前記三1(一)の行為は、一応右八号に該当するものということができる。

(二)  確かに、乗客のことを「ゴミ」などと呼ぶのは、これを聞いた乗客や他の従業員に対し不快感を与えることは間違いなく、またこのような発言をも含めた運転手の乗客に対する態度によつて、結局は債務者の営業に対する乗客の信頼が損なわれることにもなるわけであつて、このような行為を軽々に見逃すことはできないものといわねばならない。

(三)  しかしながら、タクシー運転手の間で、しばしば基本料金の乗客のことを「ゴミ」と呼ぶことがあることや、また債権者が乗客に対して発言したものではなく乗客のいないとき他の同僚に対し無線で発言したにすぎないものであることに鑑みるならば、債権者の前記発言はことさら強く非難するには当たらないというべきである。

2(一)  次に、債権者の前記三1(二)の行為は、一応前記八号、九号に該当するものと認められる。

(二)  ところで、前認定のとおり、債権者が債務者代表者に対し、「この馬鹿野郎」などと言つたことは、上司に対する場合でなかつたとしても、確かに不穏当なことではあるが、しかしながら、このような口論となつた原因はさほど重大なものとはいえず、従業員を指導教育すべき債務者代表者がもつと冷静な対応をしておれば、このような口論にまでは至らなかつたのではないかとも考えられ、このような意味で、右口論について債権者のみを非難することは必ずしも当を得たものとはいえず、さらに右口論の後、債権者は債務者代表者に対して誠意をもつて陳謝していることを考えるならば、債務者代表者とすれば、一時的か偶発的な出来事として処置しえたのではないかとも推察される。

3  疎明資料によれば、これまでの債権者の勤務態度には多少問題があつたかのようではあるが、債務者代表者から特に注意されたこともなく、また懲戒処分を受けたこともなかつたことが認められる。

4  ところで、債務者において従業員を懲戒解雇する場合に、その手続については就業規則等には何らの定めはないのであるが、前認定のとおり、本件解雇は債務者において、債権者の前記各行為が就業規則六八条に定める懲戒解雇事由に該当するかどうか十分に検討されたうえでなされたものではなく、前記口論の途中で突如としてその意思表示がなされたものである。

5  以上を総合して判断すると、債権者は債務者に雇傭されて後一度も懲戒処分を受けたことはなく、また本件違反行為の内容・程度等を考慮すると、これに対して直ちに懲戒処分としては最も重い懲戒解雇にしたことは、著しく妥当性を欠き、解雇権の濫用であると認められるから、本件解雇の意思表示は無効であるといわなければならない。

六  そこで、次に保全の必要性について検討する。

1  疎明資料によれば、債権者の家族は妻と子供二人の四人家族で、債権者が債務者から得る賃金収入のみによつてその生活を維持してきたものであつて、本件解雇により収入の途を失つたこと、解雇後現在までは債権者の預貯金により生活を維持してきたが、現在においては預貯金もほとんど使い果たし、また他からの援助も全く期待できない状況にあることが認められる。

従つて、債権者の賃金債権については、保全する必要があるというべきである。

2  次に、保全すべき賃金債権の金額とその期間について検討する。

(一) 先ず、金額について検討するに、賃金仮払の仮処分は、労働者が収入の途を断たれたために生ずる差し迫つた生活の危機を回避するために認められるものであつて、債権者が解雇される以前と同等程度の生活状態を維持することがその目的ではない。従つて仮払を求めうる金額については、必ずしもその労働者の解雇前の賃金の額が基準となりうるわけのものではない。債権者において、特段の主張・疎明のない限り、債権者が居住する地域における債権者と同様の家族構成の家庭で必要とする標準生計費の額をもつて、その一応の基準と考えるべきである。

そして、千葉県人事委員会昭和五七年四月調査によれば、千葉市における四人家族の場合の標準生計費の月額が金二二万七六一〇円であることが明らかである。

そこで、本件において保全すべき金額は、債権者において特に右額を超える生計費を必要とする事情の主張・疎明がないから、右額を基礎にして月額金二三万円と認めるのが相当である。

(二) 次に期間について検討する。

(1) 過去の賃金については、前記六1に認定した通り、債権者は、解雇後現在までは自己の預貯金によつて生活を維持してきたのであるから、現時点においては、右期間の賃金の仮払を求める必要性は認められない。

(2) 将来の賃金については、債権者としては、解雇された後しばらくの間は債務者からの仮払金によつて生活を維持してゆくこともやむを得ないところであろうが、本案訴訟の判決確定に至るまで、右仮払金のみによつてその生活の維持を計ろうとすることは認められないものといわねばならない。けだし、債権者が将来本案訴訟を遂行しながらも、他に就職し収入を得ることによつてその生活を維持してゆくことは十分可能だからである。従つて、仮払を求め得る期間は将来他に就職するために必要な期間に限定すべきであつて、その期間としては、本決定告知の時から八か月間と認めるのが相当である。

七  債権者は、賃金仮払の仮処分の他に、債務者のタクシー運転手の地位にあることを仮に定める旨の仮処分をも求めているが、以上のとおり賃金債権が保全され、差し迫つた生活の危機を回避することが可能となつたのであるから、それ以上にかかる仮処分を求める必要性はないというべきである。

八  以上の次第であるから、債権者の本件申請は、昭和五七年一一月から昭和五八年六月まで各末日限り金二三万円の仮払を求める限度で理由があるから、事案に照らし保証を立てさせないでこれを認容し、その余は理由がないから却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 小見山進)

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